八重の桜 鶴ヶ城 見参

現在、NHKで放送されている大河ドラマ「八重の桜」の舞台裏となった鶴ヶ城を見学してきました
 
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私は、中学校時代に「白虎隊」を舞ったある女性を通じて鶴ヶ城や飯盛山を認識していた程度
今回初めて鶴ヶ城に出かけて認識した事は、江戸時代の末期から明治への大転換が為された時代
 
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其の時に戦った多くの武将が「鶴ヶ城」を拠点に、歴史を動かすほどの戦いをした中に、
今話題の八重の存在があり、女性として砲術は「ならぬ事はならぬ・・・」と親に叱責された
  
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しかし、納得のいかない八重は、砲術を兄に習い強い意志を示した   
その事を通じて、現代社会に求められている凛とした女性像をデフォルメする大河ドラマ
「八重の桜」と云う事になるのではないかと、鶴ヶ城内部の展示物などを拝見して感じてきました
 
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確かに「八重の桜」と題名になるほど、各所にソメイヨシノが配(植え)されておりました
季節的には、少し遅かった感はぬぐえませんが、これはこれで楽しませて頂きました
 
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兎に角、全国から見物客が訪づれ「八重のセリフ」と同じ会話に興味を示した方が沢山いるそうです
「会津弁」とは・・・ 山形弁とも福島弁とも栃木弁とも違う・・・
独特の言い回しに「八重とおんなじ言葉を使っている」と
 
それをさりげなく感じさせてくれた「ボランティア」 普通のお母さんが笑顔で案内してくれる
タクシーの運転手さんも、市内観光の道すがら鶴ヶ城も案内しておりました
 
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ボランテアのお母さんも、きっとハンサムウーマンだったのでしょう 素敵でした  
鶴ヶ城 歴代藩士の変遷を聞きながら、歴史の奥深さを感じさせて頂きました
 
古くは、1384~1543 葦名家 会津地方の戦乱から太平の時代へ
そして、1589 (天正時代)   伊達政宗登場
その後、1590(天正18年)   蒲生家が会津領主として・・・鶴ヶ城の生みの親
歴史上の人物として、上杉景勝 蒲生秀行 加藤嘉明 保科正之 最後に松平家が鶴ヶ城を開城
 
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幕末の戊辰戦争では、約一カ月におよぶ戦いが鶴ヶ城を中心に繰り広げられ、
その城は砲弾にさらされ傷つき荒されました。昭和40年市民の願いによって
天守閣が復元されたという事のようです。
  
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茶道で名高い千利休が窮地に追いやられた時に、会津の藩士蒲生氏郷は、
利休の子の小庵を会津に匿い、豊臣秀吉に「千家再興」願い出たそうです。
 
この時に作られた「麟閣」が、今でも多くの方に
千家茶道の習わしや其の所作の一部が、今も伝えられておりました。とても美味しかったです。
 
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兎に角、平成25年のゴールデンウィークは、「高・近・短」と言われているとおり、
会津若松 鶴ヶ城 城祉公園に行ってきました。
 
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会津磐梯山を真正面に・・・つい口ずさんだ 「エンヤ~会津磐梯山は宝の山よ~」  
 
4月29日 朝9:30出発~2:00着 それから見学する事3時間 
帰ったのは、当日の午後9:45分 正味12時間の強行スケジュール
往復 600km のドライブは結構厳しいものが・・・
 
社員の皆さんには、本屋さんで本を読みましょうと訴えた事を実践してきました
 
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 これからの時代は、八重のような素晴らしい女性が職場で大活躍する事を期待しながら・・・
八重に会いに行ってきました。 少し疲れましたが昨晩ぐっすり寝てOK・・・さあ次へ
弊社にも、沢山の八重が・・・楽しみです。