大阪OCSの後…明石城~大垣城へ

2020年2月18日

明石城は、今から400年前の1619年に、初代明石藩主小笠原忠政が外様大名の多い西国の備えとして秀忠から命じられ築城したそうです 「三重櫓」は、国の重要文化財に指定されている

明石城を散策した後、大阪OCSのメンバーと神戸の中華街で食事をする事にしていたので大急ぎ指定の場所に向かった「今どこですか?」「三宮駅~元町を・・・駐車場の辺りにいます」「これからすぐ伺います」そうこうしている内に谷口社長と柴田君が走って来た

神戸のお得意様に伺う事は承知していたので、食事をしながら今後の営業戦略について打ち合わせと言うか? 呼吸を整える事が大きな目的だった「何かとお世話になりますが・・・」食事を終えて、そのまま失礼させて頂き、宿は「レストイン多賀」にした

「こんばんは~宜しくお願いします」今回で4泊目・・・フロントのメンバーとも慣れっこになって来た 「先日は、いろいろ・・・」「今日は、ゆっくり休めそうだね」「明日は彦根城に行くつもりだから・・・」「そうですか? かなりハードなスケジュールですね」「もう少しだからね」

レストイン多賀を出て、40分程度で彦根城に着いてしまったので城内に入る事が出来なかったので、その時の写真を数枚紹介します そのあと訪れた藤堂高虎の石碑を紹介します 偶々って感じですが、それなりの方なので・・・そのあと関ヶ原の「戦国ワンダーランド」を目指す事にした

ミニチュアの戦国武将が、その当時のイメージを彷彿させるようなロケーションに圧倒された 徳川家康はもとより山之内一豊、福島正則や祖父江法斎などそうそうたる武将たち 正に「群雄割拠」兵の戦いがここで繰り広げられたのかと思うと胸が熱くなってくる・・・

最後に訪れた大垣城、全国的にも珍しい4層の天守を持ち「城下町・大垣」のシンボルとして市民に親しまれているようだ 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは西軍・石田三成の本拠地にもなり、本選部隊が関ヶ原に移動した後も壮絶な攻防戦が繰り広げられたそうです 戦国の世が去った江戸時代・・・戦火で焼失したが昭和34年(1959年)再建された

私的には、ここで一件落着としたい所でしたが、大垣に来て「西濃運輸本社」を見て行かない手はないなと・・・ネットで検索した所、すぐ近くに所在 日頃から大変お世話になっている西濃運輸、取り分けその当時の飯沼専務や現在代表取締役社長として頑張っている田口義隆氏の御尊顔を拝して行きたいという思いに駆られ、本社に伺う事にした

生憎2月11日祝日で社員の姿すらお見受けする事が出来なかったが、実に質素な本社ビル

私的には「流石 西濃運輸」感動すら覚えさせて頂いた 現在、創業者田口利八氏の孫が仕切っている その当時36歳だったと思うが、アメリカから帰って来たばっかりの義隆氏、弊社にお見えになった あれから30年 押しも押されもしない物流業界の巨像となった 「ありがとう そして 感謝です」

一人旅も二回に渡って、岐阜・京都・鳥取・島根・愛知・大阪・兵庫・岐阜と約3000km を走破しましたが、私にとって「これからの人生のターニングポイント」になった事は間違いない ・・・2月12日は、浦和HIHIセンターに直行~業務視察を敢行した私がいる

いつまで経っても「鬼の専務~俺の体 どこでもいいから切って見ろ 仕事ちゅう血が出てくるぞ」幾つになっても廣澤三夫は、仕事人間ですかね~重ねて「ありがとう そして 感謝」です

無題

Posted by 廣澤三夫