人生の素「いばらきの実家」

久しぶりに「我が故郷・いばらきの実家」に立ち寄ってみた

故郷を離れて早50年の歳月が経過いたしますが、実家の様子もだいぶ変わりました
長兄である寛一も既に75歳 私が小学校二年生のときに嫁いで来た義姉も76歳 甥は46歳
今は亡きおふくろや親父の面影は、思い出と遺影でしか確認が出来なくなった(・・申し訳ない)
実家も新築されて32年 しっとりとした落ち着きとそれらを引き立てている木々も大変りっぱに成長
(お袋が大切にしていた柿の木もかなり大きくなった)している事を確認しながら過ぎ行く時を感じた
厳しい時代を生き抜いてきたたたずまいに、旧家の面持ちさえ感じさせる風情がそこ此処にあった

久しぶりに立ち寄ったので、生家の「たたずまい」を写真に収めるべくシャッターを押す事にした

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思い起こせば、50数年前 私が幼少の頃はおじいちゃんが健在で、庭先で草履を編んでいた
小遣い稼ぎに精を出していた頃が非常に懐かしく、またその庭先には小鳥や犬や雛鳥が楽しそうに
走り回っていたのがとても微笑ましかった 当時はお袋や親父は農作業に精を出している時で
私達子供は、学校から帰ると直ぐに鞄を捨てるようにして家を飛び出し友達と遊ぶ事に忙しかった

そんな風情は、最近の田舎には見る影もない・・・・・一抹の寂しさと将来への希望を感じた

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軒先には、ベンツや軽自動車などがずらりと並んでいる、後継の甥っ子は、養豚という大きな
事業を営んでいる 養豚を始めて既に16年が経過したそうだが、この事業が大成功と聞いた
約3ヘクタールの畑を豚舎に変えて、約7000頭の豚を飼育していると聞いて二度びっくり

さらにびっくりしたのは、養豚場周辺には必ずと言つていいほど「独特の臭い」が付き物であるが
その臭いがまったく感じられないほどの工夫がされている 活性炭(コーヒー)の活用がみそとか
その壮大な規模と将来を見据えた豊かな発想は「実業家」としての素養を垣間見る事になった

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もう一つ びっくりした事があった

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養豚場から輩出される「糞や尿」をある製品と絡ませる事によって良質の肥料を作る事に成功した
その肥料を地域の農家などに販売していると言う それもトラック一杯いくらと言う低廉化で捌いて
いるとか それらを野菜やメロンなどに肥料として使用することで、味や生育にかなりの成果が実績
として評価されているらしい 無農薬・有機栽培がきっかけとなっているそうだが、その事業には国
の援助もあるとか・・・・・新しい発想をもとに資本を投入し、過去の養豚のイメージを一新させた
その功績の陰に甥っ子の嫁がいる「世間でもっぱらの評判」と言う事を決して見逃す訳にはいかない

さらにびっくりした事があった それらの管理に当っているのが、なんとインドネシア出身の研修生
ら7名が真面目に働いている 日本語と養豚に対する知識を十分に持ち合わせている青年達が、活躍
している事に唖然とさせられた (雑談・・その青年達は月に主食の米を一俵はたいらげるとか!)

時代とともに、実家の様子もかなり変った事を実感しながら、期待と誇りを胸に故郷を後にした・・・