新宿副都心と創業記念日

2月11日は、建国記念日・・・日本の歴史をたどる程ではないが、せめて我社の創業日くらいは・・・
 
そんな気持ちで、すっかりきれいになった環6(山手通)を、息子と二人快調に飛ばした
私達が事業所として産声を上げたのは、昭和40年2月1日 中野区弥生町 花見橋交番の近所でした
 
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工場は16坪、その当時のまま存在しており、業種は変わっても元気な顔が・・・・なぜかほっとした
街並みは、まったくと言っていいほど様変わり、当時の面影はその建物だけ・・・不思議な気がする?
その頃の事が、走馬灯のように思い出として甦ってくる 昭和40~45年 創業期の頃が懐かしい・・・
 
中野新橋駅にも足を延ばしてみましたが、商店街もすっかり変わって「立派に・・・」「貴乃花部屋も・・・」
それも其の筈、新宿副都心から4~5kmの所に位置しており、中野駅とも10kmぐらいのところにある
 
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折角の事なので、新宿中央公園に足を延ばした 「子供達と良く遊びに来た・・・」
初老のおじさん「ここはすっかり寂れてしまった・・・今は代々木に人が移ってしまった」嘆きか?
 
もっと懐かしいのは、結婚式の後 初めて泊まった「京王プラザホテル」 建ったばっかりだった
 
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その当時は、京王プラザホテルが際立っていたのに、今ではビルの谷間に埋もれてしまった
 
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東京都庁や住友三角ビル もの凄い高層ビルが立ち並ぶ新宿副都心
 
淀橋浄水場の沿革をNETで調べてみると、玉川浄水や村山貯水池の名前が出てくる
もっと遡ると、江戸から明治~東京市の時代にまで・・・そして昭和35年~40年に大きな流れが・・・
 
「新宿副都心構想」 あれから49年の歳月が流れた・・・
偶然だが、私達の事業と同じ時間を過ごしてきた事になる
 
最近話題の東京オリンピック、マラソンランナーは甲州街道を走った 昭和39年10月 その翌年から
 
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帰りがけ、「七重八重 花は咲けども山吹の 箕の一つだになきぞ悲しき」と
言い伝えられている大田道灌が武蔵野に狩に出かけた時のエピソードがあり、
 
その昔を偲ばせていただく事になった
 
さらに、熊野神社に・・・日本の歴史になくてはならない神社が祭られている事に感心した
あらためて、歴史の重みと常に進化し続ける街や企業・・・私も今年で齢69歳
弊社の管理キャパは、現在1000坪を超える状況ではあるが・・・
 
これから・・・どんな進化をするのか・・・とても楽しみだ